HOW-TO と KNOW-HOW
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2003/12/29 記
HOW-TO と KNOW-HOW は、似たような言葉ですが、その意味には大きな違いがあります。
HOW-TO は「どうやったらうまくいくか」といった手順書のようなものです。 偶然う
まくいったとか、いろいろ試しているうちにうまくいく組み合わせを見つけたとか、
ある限られた条件下で成り立つ事項なのです。 ネットにあふれている Windows の使
い方、設定方法、などの情報はすべて HOW-TO です。 HOW-TO は、うまく自分の求
めているものに合致すればよいのですが、そうでない場合には応用が利きません。
HOW-TO を知ることはすばやくできます。 マクドナルドの接客マニュアルのようなも
のだからです。 接客の基礎を知らない人にとっては接客マニュアルをマスターする
ことによって見かけは接客のプロになれます。 しかし心の通わないおざなりのものに
なってしまうのはご存知のとおりです。
それに対し、KNOW-HOW は「うまくいく原理」です。 原理ですから不変であり、いろ
いろなことに応用が利きます。 KNOW-HOW は HOW-TO の先にあるのですが、それを見
つけるのは大変です。 HOW-TO をいくつ集めても KNOW-HOW にはなりません。 自分
の頭で考え、推論するといった高度な思考過程を経ることが必要なのです。
世の中には HOW-TO 本があふれていますが KNOW-HOW 本はありません。 「原理原則
なら本(たとえば数学公式集)にのっているじゃないか」という反論が聞こえてきそ
うです。 しかし私がいいたいのは、たとえば三角関数の公式をただ覚えるのではな
く、その裏にある幾何の考え方なり数学の面白さなりを「自分で発見すること」が
KNOW-HOW だといいたいのです。 自分で考え、感じたことが自分自身の中に KNOW-HOW
として残るのです。
そういった意味で「原理原則の書いてある本」も実は HOW-TO 本なのです。
それでは KNOW-HOW を獲得するにはどうしたらよいのでしょうか。 前に述べたよう
に KNOW-HOW とは「自分で考えること」です。 「どうしてそうなるのか?」を常に
考えて辿り着いた先に KNOW-HOW はあるのです。 これはすべてのことについて言え
ます。 本に書いてあること、新聞に書いてあること、人の言うことを鵜呑みにしな
いで、自分の考えをもつことで KNOW-HOW は獲得できるのです。
たとえば、最近、朝日新聞で「エスカレーターの右側を歩く人のために開けるのはや
めよう」という意見が載りました。 つづいてそれに対する反論なりがあったのです
が、それは「欧米ではそうだから」「急いでいる人には便利」といった理由からでし
た。
まず言いたいのは「前例があるから」「だれそれがやっているから」というの
は全く理由にはなりません。 「エスカレーターの問題」では、エスカレーターの
存在理由、存在価値が何かをまず論じ、それに対し右側を空けることの是非を論ずる
べきなのです。 (当然、私の結論は「右側を開けるのはやめよう」です。 さらに
言えば、鉄道会社が何故エスカレーターばかり作ってエレベーターを作らないのかが
不思議です。)
世の中すべてのことに HOW-TO と KNOW-HOW の面があります。 このホームページが
対象としている電子工作の世界だけではなく、たとえば自転車に乗ることや、道徳
心、などもそうです。 そして自分の考え、自分の規範、自分の枢軸は他の誰とも違
うものであってもよいのです。 ただし、客観的に自分自身を見つめなおし、自省す
る謙虚な心構えがないといけません。
一度だした結論でも、それがどういう条件下でのものなのかを考えていないとすべて
の条件下で成り立つと思いがちです。 あるときだした結論が今は条件が変わって別
の結論が導きだされることもあります。 飛んだらぶつかるような覆いのあるところ
で飼われた鳥は頭の上の覆いがなくなっても飛ばないといいます。 「飛べない原因
は何か」ということを考えないでいるからです。
とりとめのない文章になってしまいましたが、この文があなたが自分なりに考える
トリガーとなったなら望外の幸せです。